いよいよ富山を出発する日。8時50分発のANA884便に乗るので、7時30分
頃家を出た。航空券はローソンのロッピーで予約した。すごいよね、コンビニで航
空券が買える時代なんだ。ATMもあるらしいし。この航空券はチェックインも既に
終わっているので、空港の券売機(?)では発券してもらうだけだった。なんて便
利なの〜!長い行列を作っている横をスタスタ〜と余裕で通り抜け、自動発券機
で作業した。出てきたチケットを、あんずが素早く抜き取り「ええ!ママって本当
は3?才だったの!うそつき〜!2?才だって言ってたくせに!」と大声で叫ぶ。
そしてカウンターの前で並ぶ人から失笑にも似た笑いが聞こえた。恥かしい〜!
すたこらさっさと搭乗ゲートがある空港の2階へと私は逃げた。そして時間になり
見送りに来てくれた夫の両親と別れの挨拶を交わした。富山から羽田へは50分
分で行ける。今までは「はくたか」で越後湯沢まで行き、そこから上越新幹線を
使っていた。だいたい3時間くらいかかる。だから50分はかなり魅力だ。
羽田空港のモノレール乗り場にて |
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羽田からモノレールで浜松町まで行く。そこからバスで東京タワーまで行くつもり
だったが、なんと次のバスまで1時間もある。さすがに、1時間は時間が無駄だと
思う。そういえば大江戸線という地下鉄ができたのを知り、大門駅へ行く。けれど
もどこでどう乗り換えて芝公園へ行けばいいのかわからず、結局、地上に出てタ
クシーで行く事にした。タクシーで1メーターで東京タワー到着。ちなみに今は東
京のタクシーは1メーター660円。習慣とは恐ろしいもので、タクシーの自動ドア
を忘れて自分で開けたり閉めたりしてしまう。だって、自動ドアのタクシーなんて
全世界どこへ行ってもないよ。日本だけだよ。東京タワーに着いた私たちは入場
券を買って展望台へエレベーターで上った。確か前回来た時は、ここまでだった
はず。特別展望台には上らなかった。なぜなら前回来た時は4才で、まだその特
別展望台の意味がわからなかったから。しかし今回は違った。「せっかくだから上
まで行こうよ」ともっともな理由を言い、結局上ることとなる。けれどもこの日この
時間帯は曇っていて、景色がよく見えない。晴れていたら富士山も見えるらしい
のだが、富士山はおろか、新宿のビル群さえ見えなかった。
展望台にて |
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曇っていて眺めは最悪 |
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東京タワーを下から見る |
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展望台から降りてきて、ゲームコーナーで遊び、久しぶりにプリクラを撮ったりして
みた。おもしろいなぁ、プリクラって。そう言えば、100円ショップに100円で撮れ
るプリクラがあってビックリした。その後、2階のファミレスで昼食。あんずはお子様
ランチで私はなぜかカツ丼。日本で食べるカツ丼もこれが最後か・・・などと感傷に
浸るけどあんまり美味しくなかったためがっかりした。そしてお土産物屋さんで東
京タワーのミニチュアを2つ買った。これ、かわいいのデス。そしてこんどこそバス
で浜松町まで行こうとして時刻表を見に行ったら、また1時間先までバスはなくて
ガッカリした。けれども空はさっきの雲はどこかへ行き、すっかり晴れていた。
青空と東京タワー |
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青空にこの赤い鉄骨が映えるね。でもライトアップされた夜の東京タワーもきれい
らしい。それはまた今度一時帰国した時までのお楽しみにしよう。結局、バスを1
時間も待っている時間的な余裕はなく、結局来た時と同じように、タクシーで浜松
町に戻った。臨機応変に違う駅へ行けばよかったけど、大阪ほど地理に詳しくな
いので、そうもいかない。この日は、成田空港近くのホテル日航成田を予約してあ
った。成田へ行くには成田エクスプレスに乗らなくてはならない。成田エクスプレス
は東京駅だけではなく、新宿からも横浜からも、大宮からも乗車できる。ところが
この後私は友人と上野で待ち合わせていた。浜松町からどうやって行けばいいの
かなぁ。関東在住のみなさんには簡単なことでしょうが、北陸出身者にはまったく
わからない。路線図を見上げると「山手線」の表示。「なぁ〜んだ、山手線で行け
ばいいんだ」と思うもの、私は不安。浜松町、新橋、有楽町、東京、神田、秋葉原
御徒町そして上野。着いてみればなんてことはなかった。( ̄m ̄*)ほほほ。
銀色に緑の山手線 |
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ところが電車を降りてビックリ!この上野駅って巨大すぎる!どこがどこで、自分
が今どこにいてどっちに向かって歩けばいいのか全然、皆目、見当もつかない。
友人の携帯に電話しようとしたが、携帯電話所有率アップのおかげで公衆電話
がどこにもない。やっと見つけた公衆電話は、となりで外国人が「オトウサン、イマ
マ、ウエノ、デス」と片言で話していた。私も似たような境遇だった。待ち合わせ時
間に少し余裕があったため、上野で成田エクスプレスの乗車券を購入することに
した。駅員さんに「この自動券売機で、成田エクスプレスの乗車券と指定席券って
買えますか?」と尋ねると「ええ?」と驚かれる。そしてその駅員さん自ら券売機を
操作すると購入できることが判明して、駅員さんは「買えるんだ〜へぇ〜」と独り言
を言って納得していた。あとからわかったことだが、上野から成田へ行くには京成
電鉄の「スカイライナー」というのが、出ているらしい。なんだそれ、早く教えてよ。
無駄な乗り換えしちゃったよ。結局、友人とは上野の駅前にある丸井でケーキを
食べて1時間ほどで別れた。次回はビールを飲む約束をして・・・(笑)そして無駄な
乗り換えだと気がつかず、私とあんずは東京駅へ行った。そして成田エクスプレス
乗り場の地下2階(だっけ?)へ降りていった。列車が到着するまで、ベンチに座
って待っていたのだが、その時隣に座っていた中国人らしき2人組の男性。列車
に乗り込んでも席が近かった。
成田エクスプレス(鉄道マニア?) |
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座席に座るとあんずはゲームを始め、私は買ったばかりのMDウォークマンのヘッ
ドホンを耳に入れて快適な列車の旅を満喫するはずだった。いえ、満喫していた。
周囲の異変に気付く私。あ、寝てたんだ。ここはどこだろう。あれ?人が少ない。
・・・ん?さっきの中国人の男の人が、私の足元を指差している。ん?ふと見ると、
あんずの使っていたゲームのケースが落ちている。あ、どうも、ご親切に、だけど、
ここどこよ・・・ふと車内の電気掲示板をみると・・・「ここは成田空港第2ターミナル」
と表示されている。私たちはどこで下りるんだっけ・・・
第2ターミナルじゃん!
やばいよ、やばいよ!と思うが寝起きは混乱していてうまく行動に移せない。しかも
隣では、あんずも爆睡中。そう思ったとたん扉は閉まって成田エクスプレスは動き
出した。・・・てなわけで、普段は行く事のない成田空港駅まで行ってしまった私と
あんず。駅員さんに「すいません、乗り過ごしたんですけど・・」と申し訳なさそうに
に言ったら「ん〜じゃあ次ので戻っていいから」と言われた。どうやらただでいいら
しい。というわけで、一駅分ただで乗って第2ターミナル駅へ着いた。駅に着くと安
全対策で身分の証明できるものを見せるように言われる。日本以外の空港、いえ
成田以外の空港ではあんなことしたことはない。成田はいろんな事件や闘争があ
ってできた空港だし、いまだにもめているから強化しているんだろうけど。う〜ん。
ホテルにチェックインすると、ホテル側のミスでスタンダードではなくデラックスツイ
ンを用意されていた。しかし料金はそのままでいいと言う。ちょっとラッキー♪だけ
どその日は本当に疲れていたため、ホテルのレストランへ行く気力も残っておらず
ルームサービスを取った。そして私はビールを買いに自販機コーナーへ行った。だ
って部屋の冷蔵庫のビールは1本700円よ!なんで2倍なのよ!
結局、ビール
を3本も飲んで寝た。(飲みすぎ)次の日の朝、ちょっと二日酔い気味。ホテルの
定番朝食のバイキングも遠慮して、あんずにパンケーキとオレンジジュース、私は
ホットカフェオレだけを注文した。ホテル日航成田はJALを利用する際便利だ。ホ
テルでそのまま搭乗手続きができるから。スーツケース2個と段ボール箱1個を
預けるとなんと4キロ超過!超過料金、1万2千円も取られてしまった。ショック・・
成田空港へバスで行き、超過料金をここで払った。そして小腹が空いた私は甘味
処できつねうどんを、あんずが白玉あんみつを食べた。出国手続きを済ませ、デュ
ーティーフリーショップで買物をして出発ゲートへ向かう。
成田空港出発ロビー |
ムービングウォーク |
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空港内移動用のモノレールに乗って出発ゲートへと行くと、あんずと同じ幼稚園の
子がいた。違クラスだけど知っている子だった。ああ、ここはまだ日本だけど、もう
インドネシアのような気がする・・・と私は感じてしまった。ボーディングが始まって
通路を歩いていくと見慣れない青い機体。私たちが乗るのは大韓航空だっけ?と
見間違ったほど。ね?これじゃあどこの航空会社かかんないでしょ?ミッキーマウ
スの絵を見て、びっくりしたけど・・・ちなみに大韓航空の機体が青いのは他国の
空軍に見つけられず、撃墜されにくいための色と聞いた。
JAL DREAM EXPRESS |
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機内は少し空きがあったため、3人席をあんずと2人で使った。4月から映画のメニ
ューが変わったらしく、私たちはまだ見たことがなかった「ハリーポッター」を見て空
の旅を満喫したのだった。日本へ行く時、狭いエコノミーで熱のため寝られず8時
間の空の旅を地獄のように感じていた私だったが、帰りはなんとも快適だった。
この空の色を見て♪ |
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次はいつ帰るかわからないけど、やっぱり私は日本人として生まれてよかった、自
分の帰るべき場所はどこかを知り、再発見できた一時帰国の旅だった。
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