カンボジア旅行日記

第2日目(12月9日)

第2日目。朝、あまりの騒音に起こされてしまう。窓の外を見ると車やバイクがた

くさん走って、「こりゃうるさいわけだわ」と妙に納得した。しかしあまりにアジアの

早朝らしい風景に「どこも一緒なのね」と妙に納得してしまった。


プノンペンの朝の風景


ホテルでのビュッフェ形式の朝食を終えて、ロビーへ行くとガイドさんと迎えにき

てくれていた。私たちの今回のツアーは現地日本語添乗員さん付き、そして全食

事付きだったので安心だった。なにしろあんずがいるので、そのほうがいいだろう

ということになったのだ。あんずがいなくてもそうしたかもしれないけど。この日、

最初に向かったのは国王の宮殿だった。カンボジアって王国なんだよね。すっか

り忘れていた。今の国王はシアヌーク殿下。王宮へ向かう途中、車の中から外の

風景を撮影しまくる。シャッターチャンスを間違えて、自転車に乗ったお兄さんを

思い切りカメラ目線で写してしまった。「きゃあ!写しちゃった!」とバスの中でゲ

ラゲラ笑うと、自転車のお兄さんも照れくさそうにわらってくれた。こんなエピソード

1つでもカンボジアの人の素朴さが伝わってきた。なんかめちゃくちゃいい、この

国!口に出しては言わなかったが強くそう思った。


カメラ目線のお兄さん 王宮前


王宮前広場に付き、そこで車を降りた。もともと、高いビルなどないプノンペン市内

だが、ここは広場だけに開けており、いっそうそういう感じがする。そこから王宮の

入り口まで歩いていった。といってもほんの100メートル程度なのだが、道もきれ

いだし人も少ないのだ。観光客用の入り口から入って塀伝いに歩き、門をくぐると

そこには、でーんとそびえたつ黄金の王宮があった。写真を見ておわかりに通り、

青空に黄金の屋根が映えて素晴らしく美しいのだ。まるで写真を見ているような

感覚にとらわれた。ぼーっとしているとガイドさんの携帯電話が鳴り、はっと我に

返った私。慌てて写真を撮りまくった。王宮の中の道路は庭師の方がきれいに掃

除されているのだろうか、当たり前だがゴミひとつ落ちていなかった。すると目の

前に立て札が見えてきて、私たちの行く手を遮っている。しかしその立て札に書

いてある文字が読めず(英語だったにもかかわらず)その奥へ歩こうとしたら、ガ

イドさんが慌てて私を引きとめた。というのも、その立て札より先は進入禁止で、

観光客は入ってはいけないエリアだったのだ。そんなこととは知らずに、進入禁

止エリアへ一足だけ入ってしまった私・・・。すみませんでした。


青空に映える黄金の屋根がまぶしい


そしていよいよ王宮の建物へ入った。とはいっても、一般に公開されている部分

のみ。しかも王宮内は一切撮影が禁止されていたので、とりあえず、入り口のみ

撮影した。


階段 屋根 狛犬風



看板の前で 王家の紋章


看板に注意書きが書いてあり、撮影禁止、静かに拝観すること、脱帽ということが

書いてあったため、入り口で靴を脱いで中に入った。そのため写真はない。中には

大きなホールがあった。真中に王座があることからセレモニーの時に使う場所との

ことだった。すっごく高価そうなじゅうたんが敷いてあり、聞けばフランス製らしい。

カンボジアは昔、フランスの占領下にあったためフランスからの贈り物が多いよう

だった。王様の住居があちらですと言われて、ガイドさんが指差した方向には大

きなお屋敷があった。その前には普通の日本の建売住宅ほどの建物が建ってい

た。ガイドさんは「あれは象の小屋です」と言って驚いた。王様は今でこそ自動車

に乗っていらっしゃるが、その昔は象に乗って移動されていたらしい。その象の小

屋というか・・・家だ、あの大きさは。ガイドさんは「王様はもう象には乗りません。

なぜなら自動車の方が早いからです」と真面目に言うので、笑ってしまった。


象の小屋(でか・・・) 国王様のお住まい


一旦、外にでて王宮の建物を見ながら歩き、写真を撮った。一目見て明らかに違

う様式の建物が見えてくる。するとガイドさんは「これはフランス風の建物です」と

説明してくれた。さてここで問題です。カンボジアから日本に伝わった物でその名

前がカンボジアという国の名前に由来する物はなんでしょう?正解がわかった人

は、BBSに書き込んでください。(笑)

実はこのフランス風建築物の中も撮影禁止なのである。この中は各国からの頂き

物を展示してある資料館のような博物館のようなものだった。建物は2階建てで、

1階は頂き物の展示、2階は王家の家系図や先代、先々代の肖像画などが展示

されていた。家系図は詳しく説明を聞いたのだが、ややこしくて一言では説明でき

ないくらい入り組んでいた。わかるのはただ1つ・・・今の王様とお后様は遠縁の親

戚になるということだ。ただしそれが一体、どういう間柄になるのか説明できない。


フランス風建物 壁画


フランス風建物を出て、塀をくぐった先には長い通路があり、その壁には巨大な壁

画が描かれていた。ただし、かなり老朽化がすすんでいて、絵というより模様のよ

うだった。壁画の向こうに大きくそびえたつストゥーパのようなものがあった。ガイド

さんは「ここには先代、及び先々代、その前の国王が安置されています」と言う。

なにじゃあこれはお墓なの?!しかしこの巨大さ、この荘厳さを見ておわかりいた

だけるように、日本のお墓のような物とはまったく雰囲気が違う。同じ仏教とは言

え、小乗仏教と大乗仏教の違いなのだろうか?


お墓らしい


この日の気温は34度と暑く、歩き回って疲れたので少し休憩することにした。飲

み物を売っている屋台があり、そこでペプシを買って飲んだ。私がたまたま腰をお

ろしたその場所は、明日私たちが向かうアンコールワットのミニチュアが石で作ら

れて展示されていた。ミニチュアアンコールワットの周りは本物のアンコールワット

と同じようにお堀があり、鯉が泳いでいた。目の前の大きな菩提樹の葉っぱが風

に吹かれて、ざわざわと心地よい音を立てていた。気温は高いが木陰は涼しく、

穏やかな時の流れを感じた。こういう心地よさを旅の途中で感じることができること

を不思議に思った。


木陰、あります 日差し、強すぎ


一息ついた私たちは王宮を出て博物館へ行く事になった。博物館?なんの博物

館だろう・・・と思いつつ、特に気にも止めなかった。そしてさきほど下車した王宮の

前で車に乗りこんだのだが、その王宮前広場があまりにきれいで、「ここで写真を

撮りたいんだけど」とガイドさんに我がままをいうと「いいですよ」とその場で車を止

めてくれて、外に出してもらった。高いビルがないせいか、日差しは容赦なく降り

注ぎ、けれどもそのせいかジャカルタでは感じることのできない開放感を感じた。


王宮前の道路 道路の右手は川


写真を撮り終え、爽快な気分で車に乗り込み、「さ!次はどこ?」と意気込んで、

ガイドさんに聞くと「博物館です」という。車はプノンペン市内を走る。行き交う車を

見ていて思ったのは、車がきれいだということ。比較的どの車も新しいのである。

これがインドネシアならボロボロの一体何十年前の車?という物でさえ走っている

が、プノンペンでは古くてもほとんどが10〜15年以内の車だった。右ハンドルの

車も時折走っていて、それはどうやらタイから輸入されたものである可能性が高い

そうだ。

カンボジア、過去に何があった場所か、私はすっかり忘れていた。その場所へ行

くまでは。その場所は元々は小学校だったらしい。以前、カンボジアを支配してい

た、ポル・ポト派に反抗する最後の14人を収容していた場所だった。校舎だった、

その建物の運動場には14個のお墓があった。お墓の白い墓標が目にまぶしくと

びこんできた。お墓の上のプルメリアの花が、その霊魂を見守っているようだった。

収容所の中は見るに堪えない、また見る者の心を強く揺さぶる。


元々は小学校だった収容所 最後の14人のお墓


その残虐さに私は言葉を失った。収容されていた人のベッドの下の床には、まだ

生々しく血痕が残っていた。ベッドには足かせがついており、まさに監禁されてい

たのだ。あんずには見せられないと思って思わず、目をふさいだ。しかし見せたほ

うがいいのかもしれないと思った。だってこれは過去にあった事実なのだから。事

実を捻じ曲げることはできない。最初はなんなのかわからず、はしゃいでいたあん

ずだったが、その異様さ、悲痛さが伝わったのだろうか・・・犠牲になった人たちの

写真が展示してある部屋へは「絶対に入りたくない」と言い張った。私もその部屋

へは入りたくなかった。亡くなった方の無念さ、悔しさ、悲しみが津波のように襲い

かかるそのおびただしい数の写真。人々は皆、一様に後ろ手にされ、目はうつろ

である。死を覚悟した人の表情なのだろうか・・・。可哀想などと同情してはいけな

い気がしてきた。言葉にもならない。残虐すぎる。大人も子供も老人も関係なく、

まさに無差別な大量殺戮。学生の頃、キリング・フィールドという映画を見た。しか

し、これは映画ではない、事実だと自分自身の声が胸の中で響いてきた。


ベッド 収容所の廊下


小学校であったため、運動場には鉄棒などの遊具があるのだが、その鉄棒でさ

え、リンチの道具になったという。一番高い鉄棒に、人を後ろ手にしてくくりつけ、

鉄棒の下にある壷に水を入れ、頭から落として溺死寸前にさせたとか・・・聞いて

いて、それは想像を絶する残虐さだった。もっと、凄まじいリンチもあったが、ここに

は書かないでおこうと思う。

あんずと夫は運動場の真中にある木の下のベンチに座って、私が戻って来るのを

待っていた。あんずの他にも、やっぱりどうしても犠牲者の写真や、リンチの光景

の絵や独房などを見ることができないと、ベンチに座っていた日本人男性もいた。

一緒に来ていた女の子は恐がりながらも見ていたようだった。


リンチに使われた鉄棒


この元・収容所の見学を終えてレストランへ向かうため、一歩外に出ると、地雷で

片足を失った人が私たちに近づき、物乞いをした。辛かった。今、見学した胸の痛

みも事実であれば、この人が足を無くしたのも事実である。ここで私がこの人に、

に同情してお金をあげれば、こういう人が増えるかもしれなかった。地雷の犠牲に

なった人はもっと大勢いるだろう。こんな風に観光客に物乞いをするのも仕方のな

いことかもしれない。だけどお金はあげられなかった。いろんな思いが交錯したま

ま、車はこの場所を出発した。私たちはお土産物屋さんに連れて行かれた。特に

欲しい物はなかったのだが、あんずが友達にお土産を買うというので小さなポシェ

ットを10個買い、私もカンボジア風のマフラーというかストールを買った。もちろん、

値切った。しかしまだ値切り足りない気がしたけど。以前、タイで買った小さなティ

ーセット(このホームページのメニューの右下の写真参照)がとても気に入ってい

て、また同じ物が欲しいと思っていた。タイでしか手に入らないと思っていたものが

カンボジアでも買えるなんて!と喜んで、2つも買ってしまった。


ミニチュアティーセット カンボジア風ストール


その後、ようやくレストランへ向かった。その店はチャオプラヤという、タイを流れる

川の名前の店だった。ずいぶんタイに影響を受けている国のようだ。先ほどの収

容所でのことがあり、食欲はなかったのだが、美味しそうなその香りに誘われて

ビュッフェへと走り出していた。食欲には勝てない。普通の(?)ビュッフェメニュー

の他に、この店は具材を自分でセレクトして、自分オリジナルの焼きそばを鉄板で

作ってくれる。カンボジアは知っての通り仏教国なので、豚肉が食べられる。豚肉

があるというのに、なぜだろう?いつもの習慣で鶏肉を選んでしまった。その隣の

コーナーには米の粉でできた甘いお菓子を焼いていた。そのお菓子を焼く鉄板は

まるで日本のたこ焼きを焼く鉄板にそっくり・・・っていうか、それたこ焼き用とちゃう

んかいな?(いきなり関西弁)この米の粉のお菓子、そう言えばタイにもあったよ。

あの時はそれほど美味しいと思わなかったのだが、このお店のは美味しかった!


好きな具を選んでね 米の粉で焼いたお菓子


昼食の後、一旦、ホテルに戻った。元々そういうスケジュールだったのか?それと

も、私たちの疲労困憊ぶりを見たガイドさんの計らいだったのかわからないが、一

旦ホテルに戻り、汗びっしょりになった服を着替えたりベッドで横になったりした。

ちょうどデジカメのバッテリーも切れていたので、充電したいと思っていたし・・・

ガイドさんに「もしも時間があったらホテルの周辺を散歩したいんですけど、大丈夫

でしょうか?」と聞いた。するとガイドさんは「昼間は大丈夫です。でも夜はやめた

ほうがいいと思います」・・・ガイドさんの話はこうだった。ただ散歩をするには問題

ないが「絶対に大丈夫」とは言い切れないとのこと。要するに、何かあっても責任

は取れないよと言っているような口調だった。どんなに安全な国でも「絶対安全」

は存在しないのだ。ただインドネシアより治安はよさそうな感じだった。しかし、疲

れていたこともあり、結局お散歩はしなかった。どうせ、翌日、シェムリアップを嫌

というほど歩かなければならないんだし。


昼間のプノンペン市内


午後3時、再び車に乗ってプノンペン市内の観光に出かけた。次は先ほど王宮へ

いく途中で見た国立博物館だった。国宝級の品々を展示してある博物館で、中は

撮影禁止だった。仏教とヒンズー教にまつわる物両方が展示してあり、説明を聞

るうちに混乱してきた。もともとはアンコールワットの物がこの博物館に納められて

いると教えられた。というのも、盗難や破壊が相次ぎ博物館できちんと保管してお

かなければまたいつ盗まれるかわからないとのことだった。中でも印象的だったの

は、ヒンズー教のビシュヌ神の手のひらの上に乗った、ビシュヌ神の奥さんの像。

それはまるでお釈迦様の手のひらの上の孫悟空のようでもあった。妻がどんなに

わがままを言っても結局は夫の手のひらの上で踊っているだけ・・・一夫多妻制の

ヒンズー教ならではのような考え方だと思った。結局はそれが男尊女卑にもつな

がるんだよなぁ〜などと深く考え込んでしまった。


国立博物館


展示物を全部見終わった後、どうしても写真が撮りたくなって博物館内の日本語

ガイドさんに「どうしてもダメなんですか?」と聞くと「1ドル払えばいいです」と言わ

れた。最初に言えよと内心ムッとしたが、それでも中庭のみの撮影だった。それ

でも撮れるのならということで、入り口で1ドル払って許可証をもらって撮った。建

物の外観や中庭、池などをバシャバシャ写しているとオレンジ色の衣をまとったお

坊さんの姿が見えて来た。お坊さんって写真に写しちゃいけないんだっけ?なんだ

か自分のしている行為がとてもミーハーなものに思えてあからさまにカメラを向け

ることができなかった。だから申し訳ないが隠し撮りした。

でもね、お坊さんの姿ってなんでこんなにきれいなんだろう。日本のお坊さんも私

は、結構好きなんだよね。


撮影許可証 木の陰から隠し撮り


国立博物館をあとにして、次に向かったのはワット・ホンという寺院だった。ワット・

ホンの前の広場はプノンペン市民の憩の場になっていた。階段の手すりには、頭

が5つある「ナガー」というヘビがある。仏教建築ではよく見られる物で、その建物

を守っているとされている。階段の手すり部分がずっとナガーの胴体部分なのであ

る。ヘビの胴体を触りながら階段を一歩ずつ上って行く。ナガーは建物だけじゃな

く、階段を上る人も守ってくれているのかな?などと思った。あんずはと言えば、ガ

イドさんと手を繋いでラブラブ状態で一歩一歩階段を上っていった。おいて行かな

いでよ〜と思わず言ってしまいたくなるくらいの健脚ぶり。どうやら、階段が何段あ

るのかを数えながら上っているようだった。こっちは数える余裕もない・・・


ながーい胴体のナガー ピンク色の狛犬と本堂


階段を上ったところには、黄金のレリーフがあった。そのレリーフの奥には本堂が

あって、ピンク色の狛犬がいた。ナガーも狛犬もピンク色だなんて・・・かわいい!

外観のかわいらしさとは裏腹にお寺の内部はゴージャスだった。お寺って派手だ

よね。うちの実家の仏壇もキンキラキンですっごい派手だし。絵にしても、色使い

が派手だし。この天井の絵の背景の色も、まるでカンボジアの空のようなスカイブ

ルーだった。私たちがご本尊の前に座っていると、ガイドさんが「ちょっと失礼しま

す」と言ってから、その場で正座をして頭を床に何度かくっつけて、手を合わせて

お参りをした。私はドキッとして慌てて正座して、あんずと2人で手を合わせた。信

仰心の厚い人を見るとどこか羨ましい気がする。自分を導いてくれる物がこれだと

信じて生きているほうが幸せなのかもしれない。私を導く物はなんだろう?と・・・

つい難しいことを考えてしまった。


手を合わせる 金色の葉っぱ 天井に描かれた絵


本堂の脇に腰掛けて一休みした後、さっき上ってきた階段とは別の階段で下へ下

りていくと、そこには花時計があった。花時計というか、この写真を見る限りでは、

草時計だよなぁ。花がないんだもん。ガイドさんがこの「お寺の周りを、象に乗って

一周できますけど、乗りますか?」と言った。「え!象がいるの?」と喜んだのは、

もちろんあんずだった。近づいたり餌をあげたりするのは恐いけど、象は見たいら

しい。それに前年タイに行った時に象には乗ったことがあるので今回は遠慮した。

象は意外と乗り心地が悪いし、座っているとお尻が痛くなるのだ。花時計の近くの

ベンチに腰掛けて待つこと数分、象がのっしのっしとやって来た。象の背中に人が

座るための椅子をくくりつけてあるだけで、とっても不安定そうなのだが、大丈夫

なのだろうか?いや、私は乗らないからいいんだけど・・・いえ!ほんとに乗りませ

んって!じゃ、写真だけ・・・そんな感じだった。


花時計なのに花はなし


そしてまたホテルに戻って、お寺の階段を上って汗だくになった私はシャワーをあ

びてから、着替えて夕飯を食べるために夜のプノンペン市内で出かけた。だけど

真っ暗なのだ。街灯はある程度灯っているものの、それ以外の明かりと言えば、

車のヘッドライトのみ。だから車が走っていない場所は真っ暗。それくらいプノンペ

ン市内の夜は寂しい感じがするのだが、この日の夕飯を食べに行ったレストランが

ある、トンレサップ川沿いのシソワット通りは、その通り沿いに王宮があったり、ホ

テルやレストランが建ち並んでいることもあって、多少賑やかな感じだった。レスト

ランはクリスマス風のイルミネーションがあって明るかった。一体、今夜はどういう

料理なのだろうと思いきや・・・中華料理とさほど変わらないものがテーブルに並ん

だ。最初、レストランの人が「魚は大丈夫?」と聞いてきたので、魚が苦手な夫は

「え!魚?いらない!」と言って断った。しかし「食べれないのなら、あたしが食べ

る」と言ってそのまま持って来てもらった。私は好き嫌いは多いのだがとりあえず

珍しい物は見てみたいし、食べてみたい。で、結局出てきたのは、これ!魚の唐

揚げにあんかけが乗っている物で、魚自体は白身でさっぱりとしていたし、あんか

けも程よい甘酸っぱさで、最初「いらない」と言っていた夫もバクバク食べていた。

食わず嫌いって損するのね〜。その他の料理も辛くなく、ほとんど中華料理と変わ

らない味付けで美味しくいただいた。


その魚料理 エビ甘辛煮


ほとんど食べ終わった頃、店の中が急に騒がしくなった。テーブルをくっつけて、

団体さん用の席を作っているのだ。するとガイドさんがやってきて「首相の関係者

が来るみたいです」と、そっと教えてくれたのでなんとなく居心地が悪くなって店を

出ることにした。ちょうど食べ終わっていたから良かったけど。だけど別に感じが悪

そうでもなかった。ただ単に、私たちが恐縮してしまっただけなのだ。レストランを

出てから、ガイドさんに前もって「インターネットカフェがあったら行きたい」と言って

あったので、ホテルに帰る途中で連れて行ってもらった。その店は1時間で3000

リエルで使い放題。えっと100リエルが3円なので3000リエルは90円?安い!

すっごい安いじゃん!そんなわけで、このインターネットカフェからメールチェックを

して、ついでに日記も書いた。まさか日本語ワープロが入っているなんて、驚きで

ある。ボロブドゥールに行った時は、かなりいいホテルに泊まったのに日本語入力

できなくて、アルファベットで打ち込んだのに。(どこへ行ってもネットを忘れない女

だなぁ〜)

ホテルへ帰る途中でクリスマスツリーのようなものが見えた。するとそれはクリス

マスツリーではなくて、昼間行ったワット・ホンがライトアップされたものだった。で

も、こうやって遠くからみると本当にクリスマスツリーのように見えてきれいだった。


インターネットカフェの前で ライトアップされたワット・ホン
















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