日本一時帰国日記

呉羽編

お友達家族と一緒に回転寿司屋に行った。これは、ジャカルタにいる時に「どこに

行きたい?」ってあんずと話し合って決めていた。せめて2回は行こうって。しかも

本当のカウンターのお寿司屋さんではなく、回るお寿司限定だった。普通のカウ

ンターのお寿司屋さんなら、ジャカルタにはいくつもあるのでさほど珍しくない。あ

んずは回る回転寿司が本物のお寿司屋さんだとさえ思っている有様だし。


回る回る〜お寿司が回る〜♪


お寿司って私は昔もっとたくさん食べれたような気がするけど、この時は、5皿くら

いだったっけ?お友達一家とはここでお別れをした。私とあんずは行く当てのない

ドライブして、なんだか知らないうちに、民族民芸村へやって来てしまった。ここに

は民芸館や、売薬さんの資料館などがある。五百羅漢もあるのだが、私とあんず

は資料館のほうだけを見学した。さすが夏休み中ということもあって、小学生が宿

題の調べ物をしているようで、熱心にメモを取っていた。いやぁ〜ニッポンの小学

生は「自由研究」などがあって大変だなぁとまるで他人事のように感心していた。

ちなみにジャカルタの日本人学校は自由研究などありません。自由研究なのでや

りたい人だけ自由にやってきてくださいというものだ。(あ、話がそれた・・・)


売薬資料館


資料館の中には、昔のいわゆる「富山の薬売り」とか「売薬さん」と呼ばれていた

人たち(現在は配置薬業と言う)の商売道具や、薬を買ってくれた顧客にあげる紙

風船などのおまけなどを展示してあった。もちろん我が家にも売薬さんの薬箱は置

いてあった。半年に1回くらいに担当の人が来て使った分だけ、集金していく。顧

客の家に子供がいたら紙風船などのおまけをくれるのだが、私が子供の頃は、ゴ

ム風船だった。紙風船の記憶はない!ないと言ったらない!


いろんなおまけ シュールなパッケージ


博物館の奥には土蔵を改造した展示コーナーがあった。土蔵の中は、その日、外

の気温が34度くらいあったにもかかわらず、ひんやりとしていた。土壁のなせる技

なのだろうか?この土蔵はどこかのお宅のものを移築したらしい。こういう白壁って

なんだか味があっていいなぁ。こういう古い建物がどんどん取り壊されてるのはな

んだか悲しい。時代の移り変わりなのかもしれないが・・・そう言ば、富山の中央部

に位置する小杉町にある大正時代に建てられた郵便局を守ろうという団体がある

らしい。その郵便局は映画「大河の一滴」にも登場したらしい。監督が安田成美に

書簡を投函させるシーンのバックでどうしても古い郵便局を使いたかったらしく、全

国をくまなく探したらしい。見に行けばよかったと後悔している。(笑)


涼しげな白壁 赤土の土蔵内部


資料館を出た後は隣の民芸館に行きたかったが、あんずが疲れていたので写真

を1枚撮ってきただけにした。その後、呉羽山の山頂まで車で行き、富山市全体を

見渡せる展望台へ行った。ここへ来たのは、たぶん初めてだと思う。もしかしたら

つい最近、この展望台ができたのかもしれない。手前の鬱蒼と茂る木々が邪魔を

して、下界(?)の写真をちゃんと写すことができなかったのだが、高台から、見下

ろす富山市街地の様子は緑があり、川もありきれいだと思った。夜は夜景もそれ

なりにきれいなのかもしれない。


               

展望台から見下ろす富山市街地


展望台には銅像が建っていた。誰かはわからない。写真だけ撮って、名前を見て

こなかったの。あんずがこの銅像と同じポーズをとって「写真を撮って」と言うので

撮ったのだが、微妙に手の位置が違うぞ。そう言えば前にうちの近くの変な銅像

の前で、お相撲さんのしこを踏んでいたっけ・・・


銅像と同じポーズのあんず


景色を楽しんだ後、富山市街地へ向かって車を走らせた。富山市には路面電車が

今も走っている。市電と呼ばれているのだが、私はこの市電が子供の頃から大好

きだった。ガタガタと揺れる振動や、電車なのに車と同じ道路を走るその姿、交通

渋滞にも関係なく走るその勤勉さ・・・とあえてここに書き出してみたが、理由は特

にないのが本当だ。なんとなく好きなのだ。そして愛着があるだけ。あんずも市電

電が好きで、車から見つけると「乗りたい、乗りたい」と騒ぐ。私も子供の頃、母に

「乗りたい」とせがんだらしい。しかし車の免許を取ってからは、遠距離以外の公

共の乗り物はあまり乗らなくなった。あんずが3歳くらいの頃、電車すらも乗ったこ

とがない時に、単身赴任中の夫に会いに行くことになった。その時、電車に乗る練

習と称して、この市電にあんずと2人で乗ったことがある。


富山駅前 市電


さてここで問題です。↓下の「総曲輪」はなんと読むでしょうか?富山市中心部に

ある通りの名前なのですが、難解読地名らしく、県外の人には読めないことが多

いらしい。この地名がついた演歌も昔あったらしいが、全く売れなかったらしい。

昔は活気があって、人がごった返していたという総曲輪通りだが、現在郊外型の

無料駐車場付き大型ショッピングセンターに取って代わられ寂れていく一方らい。

シャッターが下りている店も多かった。私はここに以前あった時計屋さんに行こうと

思い来たのだが、実はその店は倒産したらしく私としてはかなりショックだった。老

舗の時計屋さんだったのに。G−SHOCKを買おうと思って来たのに・・・


一応、目抜き通り


中心部のドーナツ化現象を見た気がした。結局。ここでは何も買わず、に写真だけ

撮って帰った。昔はもっと活気があってにぎやかな街だったのになぁとチョット淋し

くなってしまった。帰りに見た紅白のテレビ塔が、真夏の青空に映えてすっごくき

れいだった。こういう空の色をスカイブルーっていうんだよね。こういう空の色はジャ

カルタではあまり見ることができない。


スカイブルーの空


この空の色を見ることができただけでも、私は一時帰国できてよかったと思った。

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